私たちの想い

MESSAGE

経営理念

恵みを活かし、ひとを活かす

生命を育て生命をお届けする思いやり企業を創ります。
感謝の気持ちを持ち続けます。

経営方針

01. お客様

  • 安心、安全はもちろんお客様を笑顔にし、感動を与える最高のもの作りを目指します。
  • 自社のダリアや野菜が届くのをお客様がワクワク、ドキドキしてもらうことに全力を尽くします。
  • お客様と私たちが共に繁栄できる関係性と強い信頼性を作ります。

02. スタッフ

  • 元気に明るく出社し、常に相手の立場になって思いやりを持ち、楽しい労働環境をみんなでつくりましょう。
  • 植物の生理とメカニズムを学び、生命を感じ、お客様へ生命をお届けする仕事であるという使命感をもって働きましょう。
  • 整理整頓を心掛け、綺麗な職場環境を自主的に作りましょう。
  • 作業効率を常に意識し無駄をなくして、地域の農家さん以上の仕事を目指しましょう。
  • 古い固定概念を捨て、新しい発想を持ちたくさんの意見を交換しましょう。

03. 地域

  • 地元の人や子供たち、出会う人たちに挨拶をし笑顔で接しましょう。
  • 圃場付近に目についたゴミは拾い綺麗な地域にしましょう。

04. 雇用

  • 地域の才能ある女性や子育て・親の介護で時間の制限がある方にやりがいのある職場を作ろう。
  • 大小の障害や個性があっても懸命に社会と繋がりあい労働意欲のある方に自立できる職場を作ろう。

代表あいさつ

初めましてAISAIKA田中ファームの田中としひさと申します。
『恵みを活かし、ひとを活かす。』を経営理念に福岡県みやま市町で農業生産を行っています。私は44年前九州の福岡県瀬高町と言う、福岡県南部の筑後平野に位置する田んぼの真ん中の一軒家の農家の長男として産声を上げました。

江戸時代から続く農家の長男として産まれ、将来は家業を継ぐことを幼いころから言われてました。初孫としておじいちゃんに可愛がられ、いろんな方のところへ連れられいろんな方に遊んでもらっていたことを今でも覚えています。田舎で何不自由なく育ち、高校進学の時に農業高校へ行きたいと、漠然に決めると、両親から『普通高校に行きなさい、農業を継がなくてよい。』と言われ、ただ単に目標もなく地元の普通高校に進みました。高校時代も何をしたいわけでもなく生活しいざ進路相談へ。

漠然と地元しか知らないのは嫌だと熊本県の九州東海大学農学部へ進学しました。阿蘇の麓の大学で実家以上の田舎に行き、輝かしいキャンパスライフは滅亡的でした。しかし大学卒業したら働かないといけないことはわかっていたので遊べるのはこの4年間しかないと遊び、寝ずにバイトをし学生生活を満喫しました。

卒業後の進路も漠然と東京にいけば何かできる・もっと知らない世界を知りたいという安易な考えでバブル崩壊後の就職氷河期に、とりあえず大企業の子会社と言う食品会社へ。基本給20万で寮完備。志があるわけもなく条件だけでいざ東京へ。現実は早朝4時から出勤で大田区昭和島へ自転車通勤。出会いや東京らしさはなく、しかも希望の営業職に配属と言われて行ったが、鶏肉のルート配送。さらに現実は技能実習生の中国人とくだらないことを話しながら日々鶏を解体したりの毎日でした。

そして東京らしさを求め転職を続けていくが、どんどんブラック企業へ。そして何を思ったか池袋のキャバクラのバイトを始める。
周りは日サロに通うガングロの人ばかりマネをして早朝日サロに通う日々でした。仕事は楽しくそれなりに働くと2号店の店長へのお誘いが。
とりあえずのバイトが後に引けなくなりそうなのにビビッて辞め。プラプラと目的や目標のない田舎者の私に東京は大きすぎて飲み込まれました。
28歳の6月に久しぶりに実家に帰り田植えを手伝いに帰ることになり、話では聞いてたおじいちゃんがアルツハイマー型認知症。家族崩壊寸前の現実を目の当たりにし目的のない私は実家に戻りました。

田舎で就職しながら兼業農家もいいかなと就職先を見つけるも、あまりにもひどい低賃金や職種に呆れ、しょうがなく農業を継ぐことになりました。どこか見下していた農業をやり始めると、3年目で地元の農家さんでも上位クラスの収量を上げ自信過剰に。

何か新しい品目にチャレンジしてみたくなりいろいろ探していたらその当時ブームに成り始めていたダリアと出会いました。すぐさまダリアの聖地、秋田県の国際ダリア園へ。全身に電気が走りこれしかないと信じ、生産を始めました。
やれば何とかできると思って始めたダリア。3年は全くでした。当時はまだまだ生産方法も確立されておらず、全国の生産者が試行錯誤しているときでした。全国のダリアの生産者のところへ出向き、必死にやるも、ちゃんと咲いてくれない。本当にうまくいかない日々が・・・
ダリアと出会い産まれて初めて必死になりやりがいを持ち全力で取り組まないといけないことを恥ずかしながら実感しました。

大好きだった趣味のウエイクボードやスノーボード、遊ぶことが第一だった私が段々と仕事中心、ダリア命の人生になりました。朝起きたらダリア、昼もダリア、夜は仲間とダリア談義。365日ダリア浸け。30代をすべてダリアに情熱を傾けました。簡単にはうまくいかない経験ができ全身全霊で取り組む楽しさを知りました。ひとに思いやりの気持ちを持ち人間的に成長させてもらいました。 その経験を活かし、持続可能な地域農業を目指すために法人化したくさんのスタッフが働きやすい職場環境を作るために切磋琢磨しています。

障がいを持つ方を雇用するにあたっての想い

幼い時にじいちゃんが両足がない方を家に住まわせ共に働いていたり、
近所の身寄りがなかったりした方を良くお世話をしていた記憶があります。
ひとのためにいずれは役に立てる仕事をと漠然と想いはありました。何不自由なく生きてきた私は弱い立場や自身では生き抜くことができない人がこんなにもたくさんいることを知りました。

そして私自身がゼロからの挑戦のダリアでやり続ければ成し遂げれることを体験できました。人生で胸を張って言えるくらい頑張りました。

しかし今回の新型コロナウイルスに完全に巻き込まれ12年間の努力が一瞬にして崩れ落ちてしまいました。そして経営状態もどん底に追い込まれました。人生初めてどん底から見る景色は違いました。今までの人間関係が崩れ落ちて、日頃接していた人たちが距離を置き始めたのがわかりました。その時に想像はしていましたが弱い立場や自分では乗りこえれない人たちの気持ちが少しわかりました。

障がいをもち自分自身ではどうすることもできない。頑張って生きていきたいが、チャンスや環境に恵まれない人たちの日々の辛さや憤りを感じました。

人生は簡単ではないことはわかっています。しかし私で出来ることはなにか? 私だったら出来ることがないかそう考える日々が続きました。チャンスがあれば頑張れる人たちに障がいや立場、年齢、性別は関係ありません。必死に生きていきたい人たちと二人三脚で向き合い仕事として成り立たせることこそ私の使命であると。個性や障がいは一生付き合っていけばいいのです。信じあい向き合いながらやっていくからこそ人間であると。